を槍で貫こうとした。

思い出すと汗が出る。もしも、と考えると手が震える。

頬に、服に、胸に浴びたの鮮血が、倒れる瞬間が、しばらくの間夢に出てきた。
同時に目線鋭く軌道を読んで、一歩踏み出し避けた瞬間も。

なんと儚く、美しい存在なのかと思った。




稽古を終えて井戸水を汲んでいると、見覚えのある布団を女中が取り込んでいた。
を休ませるために敷いた布団。

奥州へ向かってしまったが、は大丈夫だろうか。
途中傷口が開いてしまったときの応急処置の道具は前田慶次に預けたが、不安は拭えない。

「……。」

もうあの布団にの香りなど残っていない。
太陽の光を浴びて、また来客用の布団として仕舞われる。

「……回復が早くて、よかった。」

の意識が戻らず、傷口が熱を持ち始め、辛そうに顔を歪める姿が瞼に焼き付いている。
手を握って謝った。
ひたすら謝り続けていると、呆れた顔の佐助に止められて、別室に移動させられた。
医者の邪魔になるから、と責めるような口調で言われたが、すぐにいつもの飄々とした顔に戻り、涙でぐしゃぐしゃになった顔を布で拭いてくれた。

命に別状は無いと聞いて安心した。
もうそれだけでよかった。
起きたらきっと、は俺を怯えた目で見るだろう。
戦で負けを悟った敵兵のように、俺から逃げるだろう。
恐ろしい想いをさせると分かっていても、せめて一言謝りたかった。
もう何もしないと意思表示を見せて、謝って、殴ってくれたら最高だ。
自分で自分を殴りたい気持ちでいっぱいで、慶次殿と佐助に頼んで殴ってもらった。

絶対に部屋には入らぬと、お館様に、佐助に、慶次殿に宣言し、部屋の前に鎮座していた。
起きたらすぐに分かるように、でも本当は、少しでもそばにいたかった。
ただそれだけだった。

四つん這いできょとんとした顔で俺を見上げるを目にしたら、いつもの俺に戻ってしまったのだが。


ちゃんは本当にびびってなかったね、旦那に。舐められてんのかな?」
幸村の心情を察して、冗談めかした佐助の声がする。
庭の木を見上げると、太い枝に座り込んでいる佐助の姿。

「……俺は、嬉しかった。本当に。」
「武人、真田幸村を目の前にしてね〜俺だってゾクっとするときあるのにね。正直。」

無知ってこわ〜い、と肩を竦めたあと、姿を消す。
幸村のすぐ横に現れて、優しい笑顔を向けてくる。

「それで?」
「月並みな表現しか出ぬ……。守りたいと思った。」
「懺悔の気持ちで?」
「違う……違う、気持ちだ。なんであろう、表現できぬ。」

あ、そう、っとそっぽを向きながら、腕を伸ばしてきてぽんぽんと背を叩く。

「表現できて、に告げられたらいいねえ。いつか。」
「うむ、そうだな。」

たった二文字なのになあと思いながら、鈍い主にそれ以上は何も言わない。


















そしてその時はやってきた。
が何か企んでるって情報が出てるんだけど、と佐助に言われ、幸村は目を丸くした。

「誰がそんなことを言うのだ……?我が軍に伊達との同盟を喜ばしく思わぬ者が?」
「そうだね、そうかもしれない。発信元は分からないんだ。一本の線を辿ってたつもりがいつの間にかあみだくじでも引いてるみたいに入り乱れてきて……スっと消える。いつの間にか。」
「それで、何かというのは何だ?」

そもそも、誰がに目をつけたのか。
傍から見れば何の力もなさそうで、良い家の出身ということもない。
その根本も理解しがたいが、幸村に言っても混乱させるだけだ。
ただ、これにあの男が絡んでるなら納得できる。

ここまで俺様にたどり着けないことがあるなんて、あの伝説の忍が絡んでなけりゃあ……無理でしょう?
ただ、証拠がないことが証拠だなんて、俺様悔しいよ。

が、竜の旦那を殺したいほど憎んでるってさ。」
「なっ……!?」

幸村の頭に、政宗とと過ごした日々が思い起こされる。
信じられない。
そんなことは絶対に無い。

「ありえぬ…!例え誰かがに何かを吹き込んだとしても、それはありえぬ!は、政宗殿を信じているのだぞ!?騙される前に話し合える絆を持っておられる!あんなに、仲良くしていたのだ!政宗殿も、に憎しみを抱かせるようなことを起こすわけがない……!!」
主張が徐々に小さくなり、唇を噛む。
自信がなくなっているわけではないと分かっている。
悔しいのだろう。
自分より親しくしていると政宗を見るたびに、無意識に傷ついていたのだろう。

「……だよね。俺様もそう思うよ。だからタチが悪いんだ。が本当に竜の旦那を裏切るとしたら……理由があるんだよ。それ相応の理由と、決意が。」
「……!!」
「どうする?」
「…………。」
「傍観するか、救いたいか……止めたいか。」
「某は……。」

ぎゅっと拳を握る。

「止めたい。」

目に宿る光に迷いはなかった。
佐助は笑う。

仰せのままに、と大げさに頭を下げて、消えていった。


武田軍の仕事の傍ら調べていく作業だったがあまりに簡単で反吐が出そうになるほどだった。
はいつもどおり奥州で生活していた。
政宗と小十郎と、何食わぬ顔して生活していた。
謀反を起こすなら、政宗が義姫の元に行く時かも知れない、と情報がはいった。

「はいはい、ならそうなんでしょうね〜……。」

あんたも、真田の旦那と同じ気持ちなんだろうね。
きっと俺達に望んでるものと俺達の行動は違うだろうけど、大目に見てよ、伝説さん。









政宗は眉根を寄せて文に目を通していた。
小十郎に呼び出しを頼んだが現れると、やっと文から目を離しだるそうに頬杖をついた。

「どうしたの政宗さん。」
「この文読んでみろ。」

の後ろをついてきた小十郎も一緒に部屋に入って腰を下ろし、背後から文を覗き見た。

「なんと……?武田信玄からの文ですか。を寄越して欲しいとは……?」
「お遊びなら完全に断るんだが……。と前田家が顔見知りってんで頼みてえことがあるそうでな……。」
「まあ……猿飛の情報網でしょうが……。前田慶次でも使えそうですが第三者を使いたいとは何かあったのでしょうな。」
「緊急ってやつか。無碍にできねえな…。」
「これ、すぐ行ったほうが良さそう?明日でもいいのかな……?」

を預かる明確な日数は書かれていないし緊急事態ならおおよその日数しか答えられないだろう。
政を行う身としてはのような人材が貴重であることは十分分かっている。

は文を握りながら政宗の指示を待つ。
今から武田領に行って交渉事にでも巻き込まれるなら、生まれ故郷に連れて行くことも出来ないかもしれない。

「……まあ、今じゃなきゃいけねえわけじゃねえ。」
ぼそりと呟いて、頼めるか?と首を傾げた。
「はい!小太郎ちゃんと行ってきます!!」
そんなに時間はかからないだろうと考えたは、強く頷いた。
終わったらすぐに戻ろう。
時間がかかってもその時は、その日に、米沢城に小太郎に運んでもらえればいい、と考えて。











翌日、小太郎に抱えられて上田城に足を踏み入れた。
顔見知りとはいえ、遊びにいくとは全く違って緊張してしまったに、女中の皆が美味しい食事を作ってくれたり、伊達軍兵士がお守りを買ってきてくれたのを受け取ったりしていたら到着するのが昼を過ぎてしまっていた。
門の前に大きく頭上で手を振って笑顔を向ける幸村の姿が目に入る。
も笑って手を振りながら駆け寄った。

「幸村さん!」
、遠路はるばる申し訳ない!快諾して頂き誠に嬉しゅうございます!」

近づくなり姿勢を正して勢いよく頭を下げる幸村の肩に手を添える。

「やめてよ幸村さん!私嬉しいんだよ!役に立てることがあるなんて!ご指名ありがとうございます。」
…!なんという広きお心をお持ちか…!ま、まあ存じておりましたが…!」
「……挨拶はそこまででいいんじゃなーい?」

呆れた様子での背を佐助が押す。
幸村がそれに合わせて歩き出したので、それに付いていく。

後方を振り向くと、佐助と小太郎が何かやり取りをしていた。 佐助に文を渡され、小太郎が消える。
しばし空に視線を向けたあと、佐助もこちらへ向かってきた。


「さて、歓迎いたしますよ。ようこそ上田城へ。」
「ありがとう。信玄様もこちらにいるの?」
「お館様はおらぬのだ。」
「……そうなの?私、信玄様とご一緒に利家さんとまつさんのとこにいくのかとばかり……。」

幸村のほうを向いていたため、すぐ隣に現れた佐助に気付くのが遅れてぶつかってしまう。
ごめんなさいと顔をあげようとするが、それより先に佐助の手が口を覆う。

「嘘なんだ。ごめんね?」

いつもの笑顔で、佐助がの瞳を覗き込む。
急に目の前が霞んで、足から力が抜けて倒れそうになるのを支えられる。

「……え?」
声は出たが、それもすぐに難しくなって、口をぱくぱくさせながら幸村を振り返る。

申し訳なさそうな顔をして、すまぬ、と口が動いた。

忍術なのか、掌に薬を仕込んでいたのか。

それもすぐにどうでもよくなる。

察した。

作戦がばれてしまったのだと、それ以外考えられないと思い至り、急に怖くなる。

「……っ小次郎、様…!!」

救えると思ったのに。
例え救えなくても、何もできない状況に追い込まれるということが怖かった。
弟を殺したことを、政宗の口から聞くことになる未来が怖かった。


意識を手放し、だらんと力の抜けたの体を抱え上げて、佐助はため息をついた。

「小次郎様、か。」
……すまない……。風魔殿は?」
「竜の旦那の文を届けるようにお願いしたから大丈夫。はあ、すっげえこっち伺うから隠すの必死だったけど。」
「そうか。ご苦労だった。佐助。」

幸村が背を向けて歩き出す。
それに佐助もついていく。今日のために用意した部屋を目指して進む。

綺麗に掃除され、少々狭いが生活するのに不便はない一室。
戸を開ければすぐに厠があり、着替えも十分用意した、しっかりと鍵のかかる部屋。

「気に入ってくれるかね、は。牢獄だって絶望するかね?」
「どちらでも構わぬ。が辛い思いをせぬならば。」

カシャンと鍵を外し、二人も中に入り、を敷かれた布団の上に下ろす。

「……さて、俺様は風魔の様子探らせるよ。どんな動きしてるか読めないからねえ伝説の忍さんは。」
「佐助、俺はしばしここにいても構わぬか?」
「いーよ。が起きるまでいたら?薬弱いの使ったからすぐに起きるよ。」
「……うむ。」

黒煙を残して佐助が消える。
幸村はの表情を見下ろし、優しく髪を撫でた。

……。」
名を呼ぶと、の瞼が動いた。
すぐに、うう…と苦しそうに呻いて、目を開ける。

「ゆ、幸村さん?」
「すまぬ、。体調は如何か?」
「……すっごい、体が重い…!!何か、薬…?」
「ああ、でも軽いものだ。……に行動を起こして欲しくなかったのだ。すまない。」

背を正し、幸村が頭を下げる。
眉間にしわを寄せて、手に力が入って、声を搾り出す。
したくてしたわけじゃないことが見て取れて、は何も反論できない。

「あ、謝らないで、ください。悪いことしようとしたの、私だから……。ばればれだったんだね……かっこ悪いね。」
誰も責めることができなくて、は前腕を顔にのせて視界を閉ざした。
策を達成できないどころか、幸村や佐助にこんなことをさせてしまったことが辛くて涙が出そうだった。

……?」
重い体をゆっくり起こし、正座をして、幸村に頭を下げる。

「お願いします……!知らないふりを、してくれませんか…!!」
「!!」
「何も出来ないのが嫌なんです!このままじゃ、小次郎様が、政宗さんが、自分の弟を殺してしまうかもしれないんです!それを、止めたいんです!!」
が、罪を背負ってか……?」
「そうです!この時代の人間じゃない、私が、部外者が、敵になって、それで、それで終わって、それがいいと思うんです!だから、お願いします!」
「……。」

幸村が、の肩に手を置く。
期待を胸に顔を上げると、幸村の掌が、頬を強打した。
パン、と音が部屋に響き、は目を見開く。

「……本気で言っているなら、俺も怒るぞ?」
「……。」

痛みが後からじわじわと滲み、目から涙が溢れた。
放心してしまって、何も言葉が出てこない。

幸村は腕を伸ばし、を引き寄せて優しく抱きしめる。
どんなに優しくしても、どんなに愛情を込めても、今のにはそれを察する余裕もないだろうと感じながら、それでも思いだけは込めた。

が、辛い思いをするのが嫌なのだ……。」
ただ細いと感じるだけだった体は少々筋肉がついているようだった。
裏切るために、体を鍛えたのだろう。

は、もう部外者ではないのだ……!」
その努力を、全て無視しよう。
覚悟だけは既に決めてた。
いざ目の前にすれば、揺らいで揺らいで仕方のない覚悟だったが。

「大事にさせて欲しい。を、俺が守る。ずっと守る。」

今言うことではない。
今言ったって、彼女に届くはずがない。
頭で分かっていても止まらない。

が、好きなのだ……。」

それだけ言って、口を閉じた。
体を離すことはできなくて、ただ抱きしめ続けていた。






日が落ちて、窓から夕日が差し込む。
その時間になっても幸村は姿勢を崩さない。

「……幸村さん。」
「なんだ?」
「……文に…何書いたの?」
「先ほど風魔殿に渡したものか?」
「うん……。」

ふふ、と小さく笑った気配がした。

は、この真田幸村が預かった、と。」
「へ?」

まるで誘拐のような文面。
まさか、ふざけているだけだろうと、幸村の表情を伺おうと身動ぎするも、密着した体を離してくれない。

の、悪巧みを全部書いて、某は某が出来ることをすると。をこの地に止めて阻止すると。そちらのお家の問題は当事者同士で決着をつけるべきであると。」
「幸村さん……。」
「某は……俺は、の傍にいたいと。」

畳に付いていた手を、恐る恐る幸村の腕のほうへ移動する。
服を摘んで引っ張ると、やっと幸村が抱擁の力を緩め、顔を向き合わせた。

「幸村さん、私、私ね、政宗さんのこと……。」
「わかっている。」

その言葉に驚いてしまう。
本当に分かっているのか、首を傾げると幸村は苦笑いした。

と、政宗殿は、近い将来恋仲になるのであろうな、と感じていた。……いざ聞くことになると、すまない、遮ってしまったな。動揺してしまった。……そうか、もう想いを自覚しているか。」
「幸村さん……。あの、そんな風に思っていたなら……どうしてこんなに……?」
「かといって諦められぬよ。失いたくはない。政宗殿のためにその命使おうと思うのならば、使わせぬ。何度でも阻止する。」

真っ直ぐな瞳で、真っ直ぐな言葉を投げかけられ、は聞き入れぬことなどできなかった。

「政宗殿を思うことでが不幸になるならば、俺はを政宗殿から奪う。俺を選んでくれとは言わぬ。政宗殿を思っていて構わない。」
「どうして……。」
「いつか、政宗殿のことを忘れるほどの男になればいいのだと佐助に言われ、納得したのだ!あ、かといって待たせるようなことはせぬ!この真田源次郎幸村!がいれば、劇的変化を遂げる気がしますぞ!!!いや、してみせるゥああああ!!!!」

両の拳を握り、うおおおお、と雄叫びを上げる姿はいつもの幸村そのものだ。

分かっている。

安心させようとしているのだ。
変化の中に、いつも通り、を混ぜ込んで。

が安心するように。

「…………。」

涙が一筋流れると、はっとした顔をして、幸村が裾を頬に当てて優しく拭ってくれる。

「ありがと……。」
……?」
「……助けてくれて、ありがとう……。」

この世界の人間じゃないからと割り切ったつもりでも、怖かった。
大切な人を裏切ることが怖かった。
その全てを、赤い炎が焼き払ってくれたような、そんな気がした。

涙が次々に溢れてきて止まらなかった。
拭いても拭いてもキリがないと察した幸村は、またを優しく抱きしめる。

「幸村さん〜〜〜!服汚れちゃうよ……?」
「構わぬ構わぬ。替えはいくらでもあるのだ。だから気にせず泣けばいい。」
「……悪巧みバレて、政宗さんに怒られるかな……?」
「殴りに来るかもしれぬな。」
「……ありそうで怖い。」
「大丈夫。俺が守る。先ほど平手打ちをしておいて説得力が欠けるが。」
「ふふ、そうだね。」
「……すまない。」

いいよ、と言って、幸村にもたれ掛かった。


まだ、好きだ、の言葉に答える想いを持ってはいない

ただこの炎の導きに寄り添ってみたいと、そう思ったことだけは、幸村に伝えたい。
























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あるかもしれなかったお話風にいたしました。
途中、佐助の問いかけ、傍観するか、救いたいか、止めたいか、で、長編は救いたい、と選択したイメージです。
主人公の行動を信じて、その後の手を打つ長編と、こちらは主人公の行動を否定して無にする感じに受け取って頂けたら。
女性には手を上げない幸村に平手打ちさせるかどうか悩みましたがさせました……
どこか他人事のようにしてる風に感じられたりもしたので本気の相手には手を上げることもあるかなあみたいな妄想です〜
すみませんこういう後書き苦手なので私は全然違う感じに受け取ったんですけど…みたいなのも大歓迎ですよ!!!


リクありがとうございました!!!