蘭丸がの部屋にひょっこりと顔を出した。
いつもなら元気に訓練や勉強の誘いをしてくるのに、大人しく不思議そうな顔をしているのでもよく分からず対応した。
しかし直ぐに冷や汗をかいて叫びだしたくなる感情に襲われるのだった。

「信長様が、の、ぴ……ぴあの?ってやつ聞きたんだって。明後日の午後一に例の場所で、って言ってたんだけどわかる?」
「分かりすぎて吐く。」
「吐くの!!??」

そして、はいと渡されたのは部屋の鍵だった。
自由に出入りして練習していい、ということだろうか。
一難去ってまた一難とはこういうことか……とがっくり項垂れる。






「うーんうーん……。」
そして部屋へ行って鍵盤をただ触るだけではどうしようもない。
幸い楽譜をいくつか見つけることができたので、それを置いてにらめっこする。

「うーんなんじゃこりゃ聞いたことない……聖歌……キリスト?」
有名なものもあるのではないかと見ているが、考えてみればバッハもショパンもブラームスもこれから生まれてくる人たちだ。
期待するだけ無駄だろう。

「何が弾けるかなあ…あと信長様は何が好きだろう……禍々しい曲?」
ポーン……と鍵盤を叩く。
明後日とは急すぎる。

「ジ●リ系とディズ●ー系は結構やってたな…。」
昔の勘を思い出すしかなく、は腕まくりをした。










そして約束の日がきて、以前と同じように信長の前でピアノに向かう。
最終調整と思っていたら急に来たので焦ってしまうが、きっと音を外しても誤魔化せることができれば分からないとは思う。

「始めよ。」
「は、はい……では、失礼いたします。」

グレーのラフな着物で、赤い布地に金の装飾が施されたソファーに座る信長に一礼をする。

「……。」
外してもきっと分からないと思うが、今できる精一杯の演奏をしたいと思う。
専門外のことにこんなにも精力を尽くすのは賢明ではないがそう考えてしまうのだから仕方がない。

一度深く深呼吸して、鍵盤に手を置いた。











今日の光秀は機嫌が良かったが、信長が不在と聞くや否や目を細め、口をややへの字に曲げて、明からさまに感情が顔に出ていた。

「?」
廊下を歩いていると、聞いたことのない音がする。
音、と思ったが、何かを奏でているのだろう。

その方向へ、足を向ける。









辿りついた部屋は戸が開け放たれ、近くの広間一帯に聞こえているだろう。
耳へと伝わる音が盛り上がりを見せると同時に鳥肌が立ち、自然と強張っていた表情が緩む。

一歩踏み込むと、ピアノを懸命に演奏するの姿が見える。
そして視界の隅に、探していた男の姿も。

「……私も、よろしいですか。信長公。」
「…………。」

無言は了承と受け取り、信長の横に立って目を閉じる。

城に運ばれたときは光秀にとって『良くわからないもの』が、芸術品へと認識が変わる。


そしてゆっくり、静かな単調なリズムへと変わり、手が宙に浮く。

「……ふう……。」

安心したように息を吐き、顔を上げるとまず光秀が居ることに驚いていた。
光秀はに笑みを向けて拍手を贈ろうと手を胸の位置に上げたが、信長は勢いよく立ち上がり、そちらに意識が向く。
去ってしまうと咄嗟に思ったは、ありがとうございました!と叫んで頭を下げたが、信長は気にした様子もなく光秀の前を通り過ぎる。

「茶会で披露せよ。」

それだけを言って。

「………。」
「……………。」

残されたと光秀は顔を見合わせる。

そしてし損なっていた拍手を贈る。

「おめでとうございますさん。信長公が茶会でやれなんて、お気に召したようで。」
「えっ……え、えええええええ!!!!!!!!!」

鍵盤に手を置いて立ちがり、バァァァンと大きな音がした。












しばらく頭を抱えただったが、意を決した表情になると、また演奏を始めた。
光秀は先程まで信長が座っていたソファーに腰掛けた。

「良い音色ですね。あまり練習しなくても、分かる人間など殆どいませんよ?」
「ちゃ、ちゃんと演奏すれば、凄く良い曲なんです!!ぶわああああ!!って!ゾクゾクするような!!」
「……ゾクゾク……しましたよ?」
「ほ、本当ですか?間違えまくっちゃったんです……茶会までに、上手くなります……!!」
「真面目ですねえ……。」
「ま、真面目じゃないとこのような仕事は務まりませんよ!」

いつか光秀に言われたセリフをそのまま言うと、クスリと笑われた。

「ええ、そうですね。最高の演奏をしてください。」
「はい……!!」

光秀が戸を閉める。
そのまま出て行くのかと思ったが、また座り込んで練習を見学している。

「光秀さん……あの、途切れたりすると思いますので……あまり……。」
「いいではないですか。聞きたいと思ったのです。」

信長のあの様子では、これから酒でも嗜み始めるだろう。
珍しいものが見せれることに期待を隠せていなかった。
光秀が用件を済ませられるのはその後だろうと予測する。

「じゃ、じゃあ、気にせずいきますよ……?」
「はいどうぞ。」

鍵盤に指を置いて、前奏から始める。
流れるように音を鳴らし、ひとつ途切れればまたやり直す。

「随分と綺麗な曲ですね。」
「はい……私これ好きで……!」
「茶会では織田軍として披露するのですから欲を言えばもう少し壮大なものが良い気もしますねえ……。」
「…………。」

有能な部下は環境への対応も早かった。
にさらなるレベルを要求してくる。

「むむう……。」
しかしも同じことを思ったため、何も言えなくなる。

「魔王、って曲があるんですよー。それ信長様の前で演奏してみたいですねー。」
「ほお、魔王!!それは素晴らしいですね!どのような曲なのですか?」
「演奏はできないんですが・♪Mein Vater〜mein Vater……und horest du nicht〜って感じです」
「……どこの言葉ですか……?」
「……どこだったかな……?」


ため息混じりで名を呼ぶ光秀に苦笑いを浮かべ、練習を再開する。

「信長公がおっしゃったことですから私は何も言いませんが……応援しておりますよ。」
「ありがとうございます光秀さん!!」
「もし聴いて欲しくなりましたらお声かけ頂ければ時間を作ります。」
「いいんですか!!感謝します!」

がぺこぺこ頭を下げるのを見て満足したような表情になり、では私もそろそろ……と立ち上がる。

その背を見送って、もう一度気合を入れなおして着物を腕まくりする。

「……あ。」

そして気づく。
なんという不格好だろう、と。

裾が邪魔になるからと、肩まで捲し上げ、垂れ下がる邪魔な部分は紐で縛っているのだ。

むしろ鉢巻をして太鼓を叩く方が似合う。

「あ、そーだ!!」

椅子から立ち上がって、物置を物色する。

蜘蛛が巣を作りかねない奥底に置いてあったのだから、きっと使用許可を得られると期待して。














予想通り、信長を訪問すると、いつもよりも楽しそうに酒を飲んでいた。
楽しそうといっても、その微妙な変化は近い場所にいる人間にしかわからないが。

一通りの報告を終えた後、問題なさそうだと察し、最後にもう一つ、と続けた。

さんですが。」
「何ぞ。」
「調べさせたところ、主な所属先は伊達軍だったようで。」

信長は興味なさそうに光秀に視線を送る。

「それがどうした。」
「一応情報は知っておいて損はないかと。」
「あの者の教養の高さについては。」
「そこでの教養……とは断言出来ませんねえ……。」

ふむ、と一言つぶやき、信長は頬杖をついた。

「……調査、致しますか?」
「離反の傾向あらば。」
「!」

光秀は少々目を丸くした。

織田領地にいれば問題ないと判断している。
そして、他勢力には渡さぬとの意志が、その言葉から窺い知れた。

「かしこまりました、信長公。」

深く礼をし、その場を去る。


部屋を出て、廊下を歩いて、角を曲がって……

そしてやっと、光秀は表情を崩し、頭を人差し指で掻いた。

「なんとまあ……幹部並みの歓迎とは良かったですね、さん。」

これでは、逃げる離れるの行為は死に直結ですね、とも思いつつ。

に会ったら、ご愁傷様です、と手を合わせよう。

えっなんですかなんですか!!??と慌てうろたえる彼女の姿が想像できて、クスリと笑った。































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久々に明るい話?を書いた気がします。
元気って いいよね!

次回は茶会だよ!あんまり資料見つけられなかったしろめ!ごめんなさい!