城に戻ると夕刻で日が落ちてきていた。
光秀の部屋に防具を運び込み確認をしてもらう。
その間、は茶と最中を用意した。
「これはいいですね……。以前より強度もある。」
「よかったですねー」
「はい、元気になりました。」
素直にそう言う光秀が可愛いと思ってしまったのは自分だけの秘密にしようと思う。
「最中もどうぞ。」
「はい、頂きます。……ああ、そうです、貴女にも吉報がありました。」
「私に?」
包みを取り去って、光秀が最中を一口かじる。
飲み込んでから言葉を続けた。
「近々、松永公の軟禁が解かれますので、貴女のお役目も終了です。良かったです。」
「あ……そうなんですか……。」
正式に言われると実感がわいてきた。
松永との交流もとりあえずはここまでなのだろう。
「…………。」
博識で勉強になるが、最近の松永にはどこか恐ろしさを感じていた。
いなくなると思うと、寂しさより安心を感じてしまうのは仕方ないと思う。
「……どうされました?歓喜して踊り狂うかと思ってましたのに。」
「いえ、歓喜しても踊り狂いませんよ!?それ盛りましたよね明智さん!?」
実は昨夜松永に会って聞いたのだ、ということを話すべきかも迷ったが、蘭丸の体調不良は秘密だし、松永と話した内容に光秀のことも入っている。
ここは今初めて知りました、というような素振りで行こうと思った。
「結局、松永様の事はよく分かりませんでした。」
「分かったら貴女、おめでとうございます。変態の仲間入りです。」
「明智さんに変態とか言われる日がくるとは……。」
「……どういう意味です?」
ばちい!と視線が合って、はうーんと悩むふりをする。
「明智さんが一番へんた……むぎゃ!!!!!」
最後まで言う前に光秀に頬をつねられる。
「ははは、お饅頭みたいにぷにぷにですねえ。」
「いたひいたひ!!!」
「食べちゃいますよ?」
「ほめんなさいあへひさん〜〜〜〜〜!!!」
「おやおや、あへひって誰ですか?」
異様に楽しそうな表情をする光秀がいじめっ子以外の何者にも見えない。
しばらくつねったり引っ張ったり突いたりしたあとでやっと止めてくれた。
「いたい……。」
「ふふ、面白いですね貴女は……。私にこんなに普通に接する人初めてです。」
「……?そうなんですか……?じゃあついでに心配してもいいですか?」
笑顔が一瞬無表情になり、をじっと見ると、にい、と笑った。
「心、配……?」
「明智さん、クマがあります。昨日寝てないんですか?」
距離が近かったから、は光秀の目元に触れた。
その腕をがしりと掴まれ、ビクリと震える。
「?」
「昨日……そう、昨日の出来事です……。」
「何かあったんですか……?」
「昨夜……信長公が……松永公と酒を酌み交わしてらっしゃって……。」
「そ、そうなんですか……明智さんもご一緒に……?」
「とんでもない。見てすぐに引き返してしまいました。」
光秀の様子がおかしい。
瞳は確かに自分を映しているはずなのに、どこを見ているのか分からない。
「なんでしょうね……。酷く、不快なのです。あの男は、信長公を裏切ることにすら何の抵抗も感じはしないでしょう。そんな男と、部下も無しに二人きりで…」
「明智さんは、信長様が心配なんですね……。」
「私が……信長公を……?」
「……そう、聞こえました、が……?」
「そうなのでしょうか……?私は……信長公を……。」
光秀が着物の襟を強く握った。
それを見たは、光秀の心情を上手く表せていないのだろうと察した。
「……ごめんなさい、明智さん。違ったみたいです。私、ちゃんと理解出来てないみたいです。明智さんの事は明智さんが一番知ってると思います。私の言葉なんかで悩まないで下さい…」
「それも……違います……。」
「……? 」
「私が、普通ではないから、なんです……」
の目には光秀が辛そうに見えた。
光秀が他の人とは明らかに違うというのは分かる、だが、そりゃそうですよと笑い飛ばせない。
「貴女のせいではありません。私を理解できる人などこの世にもおりません。」
「あの、」
「いいのですよ。そうですね……私は結構……貴女が羨ましいかもしれません……。」
手から力が抜け、光秀はゆっくりと笑う。
今度はをしっかりと見つめていた。
「あ、あの……み、光秀さん!!」
「!!」
光秀の片手を、は両の手で握った。
驚いた顔をして、光秀の動きが止まる。
「そんなこと、気にすることないと、思います。」
「……?」
「私にとって、光秀さんは普通じゃないです。でも、それと同じように、政宗さんも小十郎さんも、幸村さんも佐助も小太郎ちゃんも普通じゃないです。」
「……。」
「信長様だって、濃姫様だって、蘭丸君だってお市様だって、普通じゃないです!!でも私は……そんな皆さんが好きです……一緒に居て楽しいです……!普通じゃないのはおかしなことじゃなくて……人間の、個性で……」
上手く言えているのかどうか分からないが、必死に訴えたかった。
狂気じみた光秀の性格は自ら望んだものではないのかもしれない。
「人間の……?」
「は、はい!!」
「さん……?私も好きですか?私とも一緒に居て、楽しいですか?」
「はいっ!!!」
「そうなの、ですか……。」
光秀が、手を握り返してくれる。
より白く長い指は、手の感触を楽しむ様に動かされた。
「とりあえず一つ、分かったことはあります。」
「なんですか?」
「貴女が一番、変です。」
まさかそんな言葉を投げられるとは思わず、は硬直した。
光秀は意地悪そうな笑顔で、先程までの空気はどこにいってしまったのかと疑問ばかり浮かぶ。
「光秀さん……。」
「大丈夫です、個性です。」
一生懸命な自分を返してほしいと思ってしまった。
「おやおや、なんですかその悲しそうな顔は……大好きな私ともっと一緒にいたいですか?」
「うわあああん!!調子に乗らないで下さい!!!!!!!!!」
おりゃあああと、大げさなアクションで光秀の手を離す。
その後も皆に誤解されるようなこと言ったりしないで下さいね!などと強い口調で言うが、はいはい、と受け流される。
だが、光秀の表情が穏やかなものに変わったので、まあいいかと思ってしまっていた。
数日後、は松永一行の道中のお弁当を抱えて門の前に立っていた。
松永は織田軍幹部と城の一室で言葉を交わした後に自分の領地に戻るらしい。
礼を言いたいからと、松永からを門の前に立たせてほしいと申し出ていた。
それを聞いた光秀が、最後の最後までしつこい人ですねえ……おっさんには興味ないって申し上げてはどうです?と言ったのを思い出して笑ってしまう。
「あ……。」
松永の姿が見える。
馬を引いて、を見つけるとにこりと笑った。
「やあ、すまないね。私の我儘を聞いてくれてありがとう。」
「いえ、あの、これ、足りないかもしれませんが……。」
弁当を差し出すと、三好の一人が前に出て、静かに受け取った。
「気を遣わせてしまったね。」
「いいえ!!手ぶらでご挨拶なんてできません!!松永様には、私も色々ご協力をお願いしてしまって……ありがとうございました。」
「お礼を言うのはこちらのほうだ。」
穏やかな会話をしている中、後方に光秀の姿が見え、は一瞬止まった。
全身で松永を拒否しているような、そんなオーラが感じられた。
その視線を追った松永も、光秀に肩越しに振り返る。
「卿も……世話になったね……。」
「いいえ。」
「ふふ……。」
そしてまたに視線を送る。
「次に会うのは……花見だろうな。」
「は、はい!!」
「楽しみにしているよ。君に会えるのを。」
「勿体ない、お言葉……!!」
「やめてくれたまえ。」
頭を下げようとしたの顎に手を添え、上を向けさせる。
ぴくりと、光秀が反応する。
「そんな飾った言葉でなく、君の言葉が聞きたいよ。」
「ぶ、部下の皆様の前でそんな……。」
「……私に聞こえる程度の声量で構わないよ。」
松永との距離が縮まる。
「……今度会う時には、もっともっと成長して、」
「ふむ」
「松永様に、もっと上手く隠し事が出来るようになりたいと思います。」
その言葉を聞き、松永は笑った。
「そうくるかね。楽しみじゃないか。君が私にもたらしてくれるものが。」
「い、いろいろ、読まれ過ぎてて悔しかったんです!!」
「そうか、悔しい……悔しいか……。私も読みを外すときだってあるのだよ……。そうか、もしかしたらこの私の感情も悔しい……なのかもしれないな?」
「……?」
一歩離れたかと思うと、馬に乗って、を見下ろす。
急だな、と思ったが、松永にとって別れの儀はそれ程大事なものではないのかもしれない。
「君からはその素志を貰おう。」
「え……?」
そして通り過ぎていく。
は慌てて頭を下げた。
「そして……雌伏を贈ろう……。」
頭を上げ、松永の背を見送る。
最後まで、不思議な人だった。
「最後なんて……?」
「なんですかあの方は……。」
「光秀さん。」
の隣に並び、目を細めて一行を見つめる。
「貴女になんと?」
「花見でお会いしましょうと……。」
「……そうですか。まあ茶会なら仕方ないですねえ。」
城へと歩み始める光秀をが追う。
「でも、そもそも私、茶会に出ていいんですか?」
「帰蝶は既に貴女の着物も用意させてるかと思いますが。」
「そうなんですか!?楽しみです!!」
「信長公に茶器を貰ったんです。立派な作法を期待しておりますよ。」
「作法……。」
呟いたに、光秀はゆっくりと振り返り邪悪な笑みを向ける。
「もし……とんでもない状態でしたら、織田軍の恥晒しとなり……分かってますね……?」
「さ……作法……。」
「私が直々に斬って差し上げましょう。」
「作法…………本……!!本を……!!!」
物置に向かって走り出したの背に声がかかる。
「帰蝶にご指南頂きなさい。」
「あ、うわ……はい!!!」
急ブレーキをして方向転換して転びそうになりながらも、濃姫の部屋に走るにため息をつく。
「全く……。」
視線を落とす。
その先には自分の手がある。
が強く握った、自分の手。
「を……殺す……。」
風に吹かれ、光秀の髪が揺れる。
「……。」
思考が停止する。
瞼を伏せ、口元を上げて笑う。
「……それはあまりに気分がのりません。」
それはとても意味のないことに思えた。
を殺したら先に何があるのかさっぱり分からない。
「私は貴女を殺しません。」
また歩き出す。
「貴女を殺すことは……この先……無いでしょうね……。」
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明智さんから光秀さん呼びになったよ!!遅!!
補足。goo辞書さんより。
素志…平素から抱いている志。以前からもっている希望。
雌伏…《雌鳥が雄鳥に従う意から》人に屈伏して従うこと。また、実力を養いながら活躍の機会をじっと待つこと。