濃姫のもとに書を届けに行ったのだが、許可を得て襖を開けた瞬間は凍りついた。
「どうしたの、遠慮はいらないわ。入りなさい。」
「え、いや、あの、そのまえにあの……そちらの方は……?」
濃姫の横に、座布団の上に脚を崩して座る美しい女性が居た。
そしてそれは昨夜見てとっさに幽霊と思ったあの姿にそっくりであった。
「……い、生きてる人だったとは私失礼を……!!!!」
「何をぶつぶつ言ってるの?は人見知りかしら?この子は上総ノ介様の妹のお市よ。」
「………………。」
紹介されても市は微動だにしなかった。
人と分かってもその整った顔に生気を感じさせない表情はまるで人形のようであった。
「濃姫様のもとで働かせて頂いております、と申します!!」
その場で正座をして頭を下げると、ゆっくりと市は視線を向けた。
「私は……市……。」
「お初にお目にかかります!!どうぞよろしくお願い致します!!」
容姿に会った可憐なか細い声に、は悲しさを感じた。
この方が今、浅井長政の死を背負ってらっしゃる方なのだと思うと安い言葉を発せなくて、なんと声を掛けたらいいか分からなくなってくる。
「…………可愛い子……。」
「え?」
意外なことに顔を上げると、市がの顔に向けて手を伸ばす。
「頑張ってるって、聞いたの。市よりずっと……偉い子……。ねえ……市と……友達になってくれる……?」
「友達……?私でよろしければ……。」
「うふふ……ありがとう……。」
伸ばされた手に触れるとあまりに冷たくて、びくりと震え、鳥肌が立った。
「お市様……お体がとても冷えております……!!体に悪いですよ……?」
「市の、体に……?優しいのね、いいのよ、市は……どうなっても……。」
「…………。」
そのやりとりを、濃姫は悲しそうに見つめていた。
「、温かいものをお願い。」
「か、かしこまりました。」
「いっちゃうの……?」
「すぐに戻って参ります。」
うん、待ってる、というと、市は自身の髪を弄りはじめた。
は濃姫に書を渡した後一礼して部屋を出て、市を気遣う濃姫の声を背に受けながら台所に向かった。
「…………。」
あまりに動揺してしまって、通り過ぎる人には軽い会釈しかできなかった。
台所に到着すると、急須に南蛮人より頂いた茶葉に乾燥させた生姜を混ぜる。
「お市さま……なんだか、現実逃避してるみたいな……感じ……?」
何も知らずに市に会っていたら、夫を亡くしたばかりだなど全く気付かなかったかもしれない。
湯飲みを3つ盆に載せ、すぐにまた部屋をめざし廊下に出ると、光秀がこちらに向かって歩いていた。
「明智さん。」
「おや、どうも。探しました。」
「私をですか?」
「はい。」
首を傾げた後にはっとする。
「防具ですね!!!すみません、濃姫様の要件が済んだら至急町に受け取りに行って……!!」
「はあ……それはどうも。別にこれから戦というわけでもないですし明日でも構いませんよ?」
「へ……ではなぜ……?」
「?要件が無いと会いに来てはいけませんか?」
今度は光秀が首を傾げる。
そしてはさらに動揺してしまう。
これではまるで、本当に光秀に好かれてるようだ。
「(明智さんて多分あれだ……素直なんだ……だからそういうんじゃない多分……)そ、そうなんですか……。しかし、あの、すみません、私今濃姫様のところに……」
「湯飲みが三つですか……蘭丸も?」
「いえ、これは、お市様がいらっしゃってて。」
市の名を出すと、光秀はあからさまに不機嫌な顔をする。
それが意外で、え?とは声に出してしまった。
「だ、だめでした?」
「何がです?」
「いえ、あの、すごく不快そうな顔を……」
「私はお市様を快く思っていないので。」
「え……そ、そうなんですか……。」
一度床に視線を落とし、はあ、と大きくため息をついた。
その後あげられた顔は、非常に残念そうに眉をハの字にしていた。
「申し訳ございません。少々気分が沈んでしまいました。早めに私に新しい防具を持ってきて喜ばせて下さいませんか。」
「はい!私が町に行く用事があるから受け取ってくると、申し出たので……もちろん……!!」
「ええ、貴女に持ってきていただけると思うと心が安らぎますので、丁度良かった。」
「…………っ!!!!」
さすがに耐えらず、は顔を赤くした。
「どうされました?」
しかし当の光秀は知らん顔だ。
からかっているのは無く、本当にどうしてが顔を赤くしているのか分からないといった様子だから厄介だ。
「い、いえ……すみません……。あの、急ぎますので……。」
「ええ、足止めしてしまい、申し訳ございません。」
光秀の横を通り過ぎる瞬間、顔を一度見上げて会釈をする。
目元にクマが見えた。
「……?」
昨夜はゆっくり寝たのかと思っていた。
部屋を暗くしてたまま何かしていたのだろうか。
「…………。」
自分に会いに来たというのも気になった。
言いたい話があったのかもしれない。
「あ、明智さん」
「なんです?」
急に振り返ってしまった衝動で湯飲みが倒れてしまい、慌てて起こす。
注いでなくてよかったと思った。
「何か、食べたいものとか、ありますか?よかったら城下で買ってきます……!!」
意外な言葉だったのか、不意を突かれた顔でこちらを振り向く。
「……そうですね……では……ええと……最中でも……。」
「わかりました!」
またお辞儀をして、振りかえって小走りで歩き出した。
その小さな背を、光秀は見つめる。
「……食べたいものなど思いつかなかったので、貴女の好きそうなもの答えてしまいました。」
どうせ、お茶と一緒に持ってきて部屋で食べながら雑談でもする気なのだろう。
「……私は女友達ではございませんよ。」
ふふ、と笑って、また歩き始めた。
「お待たせいたしました。」
「ありがとう、。」
「わあ…お茶?ありがとう…」
茶を注ぎ、二人に差し出すと早速飲み始める。
「……おいしい。 様にも……」
「え?」
市が誰かの名を呼んだように思えたが、よく聞き取れなかった。
「……市……。」
濃姫は低い声色で名を呼ぶ。
「……これからは上総ノ介様の為に働きなさい。いつまでもそのままではだめ。」
「濃姫様……。」
「……はい、わかってます……。兄様のために……。」
じっと、瞼を伏せる市を見つめた後、に視線を向ける。
「……。市の話し相手になってあげて?」
「は、はい。」
「市、私たちに話したくないことがあったら、に言うといいわ。これでも頼りになる子よ。」
「こ、これでも、ですか?濃姫様……。」
評価に疑問が持たれる言葉には唇を尖らせる。
それを見た市はクスクスと穏やかに笑った。
見るもの全てを魅了するような、美しい笑顔だった。
「よろしくね……。」
「はい、お市さま……!!!」
「はこれから用事があったのよね……。」
すっと立ち上がり、濃姫が障子を開ける。
察したは市に頭を下げ、空になった湯飲みを盆に載せて立ち上がる。
濃姫とともに廊下に出ると、小さな声で話しはじめる。
「貴女にたくさん頼ってしまってごめんなさいね。私たちに言えないことをたくさん持ってると思うの。織田軍の為と思って、市を支える手伝いをしてくれないかしら。」
「……織田軍のためじゃなくてお市様のために…今、お友達になりましたから。」
嫌な顔一つせずそう答える。
貴女ならそう言う気がしてたわ、と濃姫が呟く。
「じゃあ給料を上げる必要はないわね?」
「え!?上げて下さる予定だったんですか!?」
わざとらしく驚くを笑いながら小突いて、濃姫は背を向ける。
「市にも……戦場に立ってもらわないといけないから……。」
「…………。」
そして部屋に戻っていく。
「お市さま……。」
複雑な事情が絡んでいるのは分かっているつもりだ。
しかし非力そうな市が戦場に出なければならないという非情は受け入れられない。
「…………。」
今ここに居ても何も出来ないことは分かっている。
湯飲みを返しに台所に向かった。
馬を引いて、町を歩く。
光秀の防具の受け取りも自分の用事も済ませ、荷を馬の背中に乗せたら自分が乗れなくなってしまった。
しかし活気のある町をゆっくり見ながら歩くのは嫌ではない。
「最中も買ったし……。」
女が馬を引いてるのが珍しいのか、周囲からは好奇の視線が注がれる。
たまに通り過ぎる店から、お嬢ちゃん見てってよ!!と声を掛けられるが馬をどこに繋げばいいか分からないし、苦笑いして、ごめんなさいと断っていた。
「ふう……。」
ゆっくり吐いた息が白い。
本格的に冬がやってくる。
「…………。」
おそらく奥州はもう雪が降っているだろう。
しばらくは動けない期間が続く。
「小十郎さんのお野菜で鍋パーリイ!!とか……やってるのかなあ……。」
伊達軍は雪に覆われてもきっと騒がしくしているんだろう。
想像して笑ってしまう。
しんしんと降り続ける雪を眺めながら、政宗は廊下に座り込んでいた。
「政宗様、寒くございませんか?」
「おう……大丈夫だ。」
小十郎が部屋の中に視線を送ると、大量の文が畳に散らかっていた。
いつもなら文は丁寧に畳まれているのに、政宗らしくない扱いに小十郎は部屋に踏み入り拾い上げ目を通す。
「……これは」
「好きに見ていいぞ。」
「通りで……最近量が多いと思いました。」
武田から、上杉から、前田から、そして伊達軍の兵から、中には女中から差し出がましい行為と知りつつも必死に訴える文があった。
「……“が、筆頭を裏切るわけがない”……“しっかりと、真実を調べてください”……」
「上杉の忍のは傑作だ。」
「“お前、に何したんだ。のような者が怒るとは相当だぞ。早く見つけて謝れ。”……くく、全く事情分かっていないようですな。」
幸村は少しずつ、あの晩何があったかを話しはじめた。
最も佐助の方が理解していそうだったが、佐助は『俺様忙しいからー』としか言わないらしい。
慶次は相変わらずだ。
政宗を励ますつもりらしいが、女心について綴って終わりが多い。
だがまだ放浪の旅をしているらしくたまに美味い酒を送ってくれるのだった。
「……小次郎様……。」
「ああ、あいつ、かなりマメな奴だったんだなあ。兄のくせに全く知らなかったぜ。」
小箱に丁寧に入れられた小次郎からの文は大量で、義姫の様子が事細かに書かれていた。
最初は急に泣き出したり情緒不安定なところがあったらしいが、最近は随分を落ち着きを取り戻しているようだ。
「まあ、そっちは大丈夫そうだ。」
立ち上がった政宗は、寒い寒いと呟きながら部屋に入ってくる。
「真実、か……。分かってきてるよ……の馬鹿さ加減が特にな。」
「どうされるおつもりで?」
「とりあえず見つけねえと始まらねえ。」
小十郎は政宗を見つめる。
「……また、はこちらに来ると思いますか?」
「来る。」
確証もないのに自信満々に答える政宗に、小十郎は笑みを浮かべる。
「ならば、小十郎も信じましょう……。」
「嘘つけ。」
「は……?」
首を傾げる小十郎に、政宗は意地の悪い笑みを向ける。
「お前がの部屋を女中に掃除させてて、誰の部屋にもさせてねえの知ってるぞ。俺がなんと言おうと関係なかったろ?」
「はは、そうですね。俺はずっと、待ってますよ。」
文を拾い上げて揃えて机の隅に置いて、小十郎は立ち上がる。
「本日は皆で鍋など如何でしょうか?」
「お、なんだよ。冬はこれからだってのに蓄えは大丈夫なのか?」
「もちろんです。」
そんじゃあ鍋Partyといくか!!と笑う政宗のあとを小十郎が歩く。
おそらく政宗は何の御咎めなしでを迎えることは出来ない。
あの場にいた家老が、義姫側の者達がそれを許さない。
全てを暴いて母親のせいにすることもできない。
「今年の大根は良い出来です。」
「それは楽しみじゃねえか!!!」
どことなく空元気な政宗に合わせることしか出来ないが、政宗自身が強くあろうとしている。
今はそれでいいと思った。
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アニバサは濃姫様がお市様に厳しかったけど
ドラマCDで仲良しな感じのシーンあってそれが好きなんですよねええええ仲良しな感じにしてしまった!!!!