三好三人衆に連れられて、一人の男が松永久秀を訪ねた。

「随分良い暮らしをしているようだね。」

嫌味なのか、質素な部屋に骨董品を並べて鑑賞する松永の様子に本心で述べているのか分からない明るい口調で、男は部屋へ踏み入れた。

「いやいや……折角の来客にろくな御もてなしが出来ず申し訳ない。」
「かまわないよ。僕は話が出来ればそれでいい。」

足早に松永の正面に回って座り込み、まっすぐに見つめる。

「僕は君と情報交換をしたつもりだったがどうなっているんだろうね?」
「……もう少し……といったところではあるがね……。」
「何か予想外のことがあったのなら教えてくれても構わないんじゃないか?」

少々怒気を含んだその言葉を聞き、その通りだ、と感じるが首を傾げてしまう。
文を書くのは嫌いではないのに、なぜ報告する気にならなかったのか。
むしろ、伝えようという発想すら浮かばなかったのはどうしてだろうか。

「……ああ。」
「言い訳の言葉でも思いついたのかい?」
「はは、私は豊臣軍を敵に回す気はないよ。」

じろりと睨む視線に笑みを向け、松永は言葉を続ける。
目の前にいる豊臣軍の軍師、竹中半兵衛は、松永の欲していた名のある刀の所在を教える代わりに織田軍の内部情報を教えてくれないかと東大寺に現れた。
悩むことなく頷き、そしてその結果が軟禁という形になってしまったが、欲しいものを手に入れられた事の方が大きく、竹中半兵衛を敵視する気は全くなかった。

「なかなか面白くてね……単に見ていたいと思っただけだ。」
「こちらとしてはもう少し理解しやすい言い訳を選んでほしいのだけどね?」

そして松永は、織田の内部情報として明智光秀のことを伝えた。
彼が織田信長に謀反をはたらくだろうと。
そしてそれはそう遠くないだろうと、予期していた。

「今、安定しているのだ。彼は。」
「安定……?一番似合わない男のような気がするけどね?」
「信長公に対する激情を抑える鎮痛薬があるのだよ。いや、興味深い。本心だ。」
「……ではその鎮痛薬、排除して欲しいと思うのだけれど?」
「相変わらず、急いているね。」
「!!」

金を持ってこさせようと、部下に合図を送るため挙げようとした手が止まる。

「すまないが、そのお役目は遠慮したい。」
「……どういうことだい?」
「そのままだ。殺したくないのだよ。」

今まで松永の口から聞いたことが無い、発せられるとも思っていなかった言葉を聞いて、半兵衛はきょとんとしてしまう。

「他にも方法はある。導火線を短くしたいのだろう。簡単だ。」
「策をそのように選ぶ趣味を持ち合わせていたとは知らなかった。覚えておくよ。」
「クク、それほど私は冷酷では無いよ。」

しばし沈黙の時間が流れる。
向き合って、半兵衛は、今のこの男に自分の戦略を強いるのは不可能だと察する。

「……分かった。もうしばらく待っているよ。」
「ああ。」
「光秀君に良い人がいたとはねえ。ここ最近聞いた中で一番大きな事件じゃないか?」
「そういうわけでは無い様だよ。穏やかな感情だ。」
「……ふうん。まあ、あまり興味は無いな。」

立ち上がって、半兵衛は静かに去って行った。
来た時とはずいぶん変わって、動揺を隠しきれない雰囲気が松永の表情をまた笑みに変える。

「興味が、ある、ように見えるがね……。」

それは松永も同様だった。
自分の予想がずれたことに何も感じていないわけではない。

は、なかなか飽きないなあ……。」














「寒い……寒い……。」

白い息を吐きながら、は井戸水を汲んでいた。
蘭丸はを呼び出し体調が悪いことを告げ、調べたところ微熱があった。
彼曰く、誰にも弱いところをみせたくないらしく、信長にも濃姫にも光秀にも言わないという約束では一人看病に当たることにした。

「食欲も無いか……。明日の朝はお粥にして……下痢とかしてないか聞いたら教えてくれるかなあ……。」

頼ってくれたことが嬉しく、も熱心になってしまう。

「……?」
桶に水を移したところで違和感を感じた。
じゃり、じゃり……と草履で歩く音が微かにする。
こんな時間に誰だろう、と思うと同時に、深夜ということで若干の恐怖もある。

「……早く……戻ろう……。」
小さく呟いて歩き出した瞬間、塀と塀の間を通る人間が見えた。

「…………。」

細い身体に、長い黒髪、僅かに見えた白い肌が闇に異様に浮かび上がり、横顔はあまりにも悲しそうに見え、は一瞬凍りつく。

「……幽霊……?ひさ、久々に見た……。」

まさかの出来事に顔が引きつる。
夜の冷えとはまた違う寒気を感じながら、すぐに視線を戻して作業を再開する。

「……さ、寒いし早く……」
「やあ、こんばんは。」

今度は別の意味での恐怖が待っていた。
ご機嫌な声色で話し掛けてきたのは、松永久秀だった。

「……こ、こんばんは……またいらっしゃったんですか……?」
「いやあ、君に挨拶しようとおもってね。」
「挨拶……?」
「今夜は冷えるね。」

松永の方を向き、首を傾げてしまう。
何も心当たりがなかった。

「そろそろ私は戻されるだろう。軟禁生活も終わりだ。」
「分かるんですか?」
「信長公のご予定と季節を考えているとその結論しか出ないよ。」

お別れの挨拶をしに来てくださった、ということは分かった。
しかし、ありがたいという気持ちよりもどんどん松永が近づいてきていることの方が気になる。
後退してしまえば塀に追い込まれてしまうことになるため、は少し緊張しながらも一歩も動かなかった。

「君には随分お世話になったね。」
「い、いえ……任されたことですので、当然の……」

松永は容赦なくに近づいて行った。

「本当に、感謝しているよ……。退屈しなかった。」
「勿体ないお言葉……」

もう1mも離れていない。
そこで松永の歩みは止まった。

「君にはまた会える気がしてならないよ。」
「お会いできます、きっと……」
「そうだね……君も私も……生きていれば……」

じっと見つめてくる松永の目は優しい。
他意は無いのだろうか、もしかして本当に感謝してくれているからわざわざ来てくれたのだろうか……と考えてしまい、気が緩む。
だとすれば、寒い庭で立ち話をしてしまってるのは非常に不躾なことではないのだろうか。

「……松永様?あの、もし宜しければお茶でも如何でしょうか?少々お待ちいただくことになるかと思いますが……」
「ふふ、優しいな、君は。」
「お体が冷えてしまうと思いまして……」

その瞬間、松永が一瞬屈みこんだと思うと、の腰に手を回され、押される。

「…!!!」
背に塀の冷たい感触が少々強引に当たる。

「!??」
いつの間にそんなに移動したのか分からなかった。
困惑しながら、間近にある松永の顔を見つめる。
手がしっかりと腰に回され、逃げられない。

「織田軍に君のような娘は珍しいのだろうなあ……だからかね?気が付けば目で追ってしまうのだろうなあ……。」
「え……?」
「混沌としたこの軍で、君は異様だ……とても興味深い……。」
「どうしたんですか……松永様……」
「明智殿にも気に入られるとはな……。」
「…………。」

私、明智さんに気に入られてますでしょうか?と聞き返すと、コクリと頷かれる。
このような状況下で、は照れ笑いを浮かべてしまった。

「最近、普通にお話したりするようになれたんです。松永様の目にそのように映っているだなんて、嬉しいです。」
「素直な子は私も好きだよ……。」

そっと、松永の手が離れる。
の顔を覗き込むように近づけて、そしてすぐに離れていく。

「松永様……。」
「そろそろ戻らねば。すまないね、随分と時間を頂いてしまったようだ。」
「お、お気をつけて……。」
「ありがとう。」

まるで何事もなかったかのように立ち去っていく松永の背を見送る。

「……あっ!!!蘭丸君!!」
はっとして、すぐ桶を持って部屋を目指す。

呼びかけても返事が無いので、静かに戸を開けた。

「……あ……寝てる……。」

熱のせいか頬を赤くし、口を開けて呼吸をして辛そうな表情だった。

「遅くなってごめんね……。」

汲んだ水で布を濡らし、なるべく音をたてないように絞って折りたたむ。
蘭丸の額にそれを置くと、ゆっくりを目を開いた。

「……ん?」
「ごめん、起こしちゃったね?大丈夫?」
「……うん……冷たくて気持ちいい……。」
「何も気にしないで、今日はもう寝るといいよ。」
「……ありがとな、……。明日には……治ってるかなあ……。」
「治ってるといいね。」

布団から出ていた蘭丸の手をそっと持って、布団の中に入れる。
離そうとした瞬間、ぎゅっと握られた。

「蘭丸君?大丈夫?」
が……寝込んだときは……」
「うん?」

身体のだるさと眠気に襲われているようで、いつもの覇気のない弱弱しい声だった。

「蘭丸が……めんどう、みてやるから、蘭丸に……言えよ……?」
「……!!!!」
「光秀はいじわるだから、蘭丸に……言……えよ……?」

握られた手から一気に力が無くなり、目を閉じて、蘭丸は規則正しい寝息を立てはじめた。

「……ありがとう。」
可愛らしい申し出に笑みを浮かべてしまう。
そしてまた光秀の名を聞いて、そんなに仲良さそうに見えているのだろうか、と思うが、それよりも光秀が女と普通に接しているということが珍しいから、かもしれない。

蝋燭の火を消して、静かに部屋を出る。

廊下を歩いていると、向かいに光秀の部屋が見えた。
すでに明かりは消え、真っ暗だ。

「遅くまで起きてる時の方が多いけど……そうだよね、たまには早く寝ないと体壊しちゃうよね。」

私も早く寝よう、と歩調を早めて自室に向かった。



光秀はまだ眠ってはいなかった。

机に向かって頭を抱え、息を荒げていた。

「……意味が……分かりませんね……。なぜ松永久秀と盃を酌み交わすなど……。」

偶然目にしただけだった。
信長に書類を渡そうと会いに行く途中、居るはずのない人間の声が聞こえてきて、そっと木板の隙間から部屋を覗くと松永久秀が織田信長と酒を嗜んでいるところを目撃した。
こんな夜中にだ。

「信長公と松永久秀の……密会ですか……。」

どうしようもない気分に襲われるのはこれが初めてではない。
松永が謀反をはたらいたときはこれの比ではなかった。

「何をしているのです信長公……あんな男と何を話していたのですか……いつまた貴方の命を狙うかもしれない男に……!!!!」

感情が高ぶって、握りこぶしに力が入る。
ダン、と一度机を叩くと、庭の方を向いた。

に……探らせましょうかねえ……。」

そう考えると気持ちが楽になることに最近気が付いた。
面白いおもちゃを手に入れたものだと嗤ってしまう。

「ダメなのですよ……信長公……。私以外の者に殺されるなどあってはならないのです……。」

ぶつぶつ呟きながら、床に入った。

渡し損ねた書類を一瞬瞳に映し、光秀はゆっくり瞳を閉じた。















次の朝、蘭丸の様子を見に行くと、だるそうな表情で布団の上に座っていた。
今日も寝ていた方がいい、とが言っても、稽古に参加しなきゃ文句言われるかもしれない、誰かがさぼっていると陰口を叩くかもしれないから行くと言いだした。
子供ながらに色々なものと戦っているのだろうと感じて、は蘭丸のその気持ちを無下にできなかった。

「じゃあ、濃姫様外出の護衛で本日不参加、ってことにしよ?」
「……ってけっこう……ずるがしこいよな……?」
「はい、お粥食べて?」
「おかゆ、あんまりすきじゃない……。」
「美味しく作ってきたつもりだよ?」
が作ってきてくれたの?」

ふてくされた顔をぱっと明るく変え、興味津々にの差し出す膳を覗き込む。

「蘭丸君の体調が悪いのは私との秘密でしょ?」
「うん……!ありがとう!!」

一晩ぐっすり寝て食欲も回復してきたのか、一度箸をつけると夢中になって食べ進める。
成長期の男の子、という感じがして可愛らしい。

「おいしい!!」
「ありがと!!」
まだまだ本調子ではないようだが、蘭丸に笑顔を向けられ、も微笑む。
一応女なので、料理を評価されるのは嬉しい。

食べ終わると蘭丸は再び布団の中にもぐりこんだ。
だがすぐに顔をぴょこんと出して、大きい目でを見る。

「そういえば、聞いた?」
「何を?」
「お市さま、こっちに戻ってきてからずっと調子悪かったんだけど、やっと回復してきたみたいなんだ。部屋に籠りきりだったんだけど、最近は散歩ぐらいならするようになったみたい。」
「お市様……話には聞くけど、まだお顔は拝見したことはないなあ……。女中さんがあんまりご飯を食べないから心配してた。」
「蘭丸は信長様のところに行ったときちらっと見たよ。でもまだ目がうつろ〜な感じだった。」
「まだそんなに経ってないし……浅井長政様がお亡くなりになって……。」
「そんなもんなの?」
「そうだと思うよ……多分……。」

の知る歴史どおり、浅井長政とお市は愛し合っていたのだろう。
長政は駆け寄るお市の目の前で殺されたと、後に戦で負傷した兵達の治療をしていた時に聞いたのだった。

「……。」
「……な、なんだよ……がそんな辛そうな顔するなよ……!!仕方ないよ!」
「亡くなった方は戻ってこないもんね……。」
「そうだよ!考えたって仕方ないよ!それより、ええと……なんだっけ……。……そう、もお市様に会えればいいなって言おうとしたんだ!すごくきれいな方なんだ!!」
「うん、お会いしたい。」
「ま……まあ、もそこそこ……美人だけどな?」

恥ずかしそうにもじもじしながら褒めてくるので、嬉しいのと微笑ましいのが混ざってクスクスと笑ってしまう。

「ありがとう。カッコいい蘭丸君にそう言われて、嬉しいよ。」
「ほ……本当かよ……別にいいけど……。」

顔を赤らめながら布団に潜り、もう少し寝ると呟いて目を閉じてしまった。
急須に水を入れておくから、起きたときは飲んでね、と声を掛け、は部屋をでる。



「お市さま、かあ……。松永様のお手伝いさんが無くなったらもう少し余裕が出来るかな……。」
愛する人を目の前で失い、どれほど辛い思いをしているのだろうか。
もし力になれることがあるなら何でもしたいと思う。

「あ、と……ええと……濃姫様に文が届いてたのと、明智さんの新しい防具が出来たから取りにいかないといけないんだった……。」

濃姫の依頼に限らず様々な雑用を行うようになってきているのも気になるが、働きぶりが明らかに給料に反映されている。

「薬草と包帯も買ってこなきゃ……。」

忙しいのは有難かった。
余計なことを考えずに済んだ。

「……小太郎ちゃんはどこにいるのかな……。政宗さんのとこには行かないよね……佐助のとことか……元親、元就さんのところとか信頼できる場所で働いてたらいいけど……。」

もしそうなら契約期間が終わった時点で自分が雇うことが出来る。
それまでにお金を貯めておかなければいけないが、織田軍は濃姫が協力的で随分と活動がしやすい。
医学の知識が随分と身に付いてきて、お金をかけた医療道具も作れつつあるのだ。

「もうすぐピンセットも作って貰えるし、ドイツの方と会わせてくれるっておっしゃってたし……戦場での治療環境も考慮して頂けてる!!織田軍が行えば他の軍も真似するかもしれない……!!」

よし、と気合を入れて歩き出す。

松永の世話役が終わったら、小太郎探しにも取り掛かろうと考えた。





















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蘭丸くんとってもかわいいよね!!!
そして夜中に瞬歩で近づく松永様とか怖すぎるよね!!