正座をしていた光秀は、濃姫の言葉を受けて首をかしげた。

が…戦に?」
「衛生兵としてよ。」
「ああ、じゃあ守れとかそういうわけではないんですね。驚きました。」
「なんだか随分張り切っちゃってね…。」
「部屋に籠ったかと思ったら駆け回ったりしてますね。私としては頼みごとを忘れるような事態は現在のところ無いので問題ないですが。」

松永久秀の元へ食糧を運ぶなどの仕事は欠かさず定期的に行っていた。

「いざそうなったら怖気づくんじゃないかしらとも思ったんだけど、なかなか強いわね。」

心配そうな顔をする濃姫を見て、光秀はくすくすと笑った。

「帰蝶は強いと見せてなかなか女性ですね。」
「どういう意味よ…」
「我が子を心配するような顔をする。」
「…!!」
「蘭丸が初めて武器を持ったときを思い出します。」
「そ、そんな顔してたの?」
「してました。」

まさかそんなことを言われるとは思わなかった濃姫と、まさかこんなことを言う日がくるとは思わなかった光秀は互いにそっぽを向いて眉根を寄せた。








は集めた書類を見ながら考え続けていた。

「大体の作業と持っていくものは聞いたけど…」

一枚手に取ったのは、休んでいた兵士たちに聞いて『今まで戦でどんな怪我をしたことがあるか』の集計をとったものだった。
出しゃばってはいけないだろうと、今度戦に参加させて頂くという挨拶がてらの日常会話で聞き出した。

「弓や槍、刀傷、落馬…骨折や打撲も結構あるな…」

今のところ、傷口の消毒は日本酒以上のものは期待できないし自分で作ることも難しい。
大きな傷を縫う手段を考えなければならない。
製氷もどうにか出来るようにしたいし、煮沸も気軽にできたらいい。

「……そうだ、戦場で統計とろうかな…それどころじゃないだろうから貴重なマイシャープペン使って…。」

一番言いたくて、一番考えてしまう“戦なんてしないで欲しい”というのは、今の自分の役目ではない。

「…政宗さんが、天下統一してくれるもの…」

実際の歴史とは違うのに、きっとそうだと信じてしまっている。

「はあ…」

どうしても政宗の事を考えてしまうのはもうこれ病気なんじゃないのと、会えなくて悲しいというよりも、自分への呆れの気持ちが強く出たため息だった。

「どこで誰の軍と戦うのかも分かんないけど聞いていいのかなぁ。なんか衛生兵の皆さん、何聞いても冷たい態度なんだよな…むしろ知らないのおかしいのかな…。濃姫様や明智さんに聞こうかな…でも忙しそうだし…ああ、もうすぐ松永様のところに行かなくちゃ…」

日が昇ってきたのを見て、は立ち上がった。




廊下を歩いていると、外から気合の入った兵たちの掛け声が聞こえてきた。
「そういえば、織田軍幹部の皆さまは、あまり訓練してるとこ見ないなあ…」
「おやおや、訓練が要るような実力と思われているのでしょうか?」
「実力がある方々は実力がある方々同士で、たのしそーーーに稽古してる軍に居たことがあるもので。」

後ろからゆらりと、どこからともなく現れる光秀にも徐々に慣れつつあった。

「おや、そうでした。なるほど貴女の口からその言葉が出ようとは…拷問でもしましょうか?」
「私が知ってることは、政宗さんと小十郎さんは稽古なのに本気でぶつかり合ったり、二人とも野菜が大好きだったり、口げんかじゃ小十郎さんに勝てる人はいないし…そんなことです。何が知りたいですか?」
「独眼竜の目的は?」
「天下統一。」
「…ふふ、単純明快だ。我々でも分かります。」

光秀はぽん、との背を押した。

「松永公のもとへ行くのでしょう?いってらっしゃいませ。お気をつけて。」
「ありがとうございます!!明智さんも、戦の準備、頑張ってください。」

まったく気持ちのこもってない光秀の『いってらっしゃいませ』に元気に返事をして、はまた歩き出した。










松永久秀は黙々と読書をしていた。
別室では食料を貯蔵庫に入れた後、松永の部屋にある洗濯物をまとめていた。

「…君。」
「はい。」

視線は書物から外さず、煙管を吸いながらに声をかけた。

「戦に参加するそうだね。」
「は、はあ。衛生兵としてですが…。どなたからお聞きに…?」
「信長公のお膝元だ。少し調べたら、君のような異例の人事は耳に入る。」

軟禁状態なのにいろいろ調べてるんか…とつっこみたくなる気持ちを抑えた。
はこれ全く罰になってない…松永様楽しんでると思った。

「私、異例なんですか?」
「織田軍に入って日も浅いようだしね。奥方にどのように気に入られたのか、私にもご教授頂きたいものだ。」

ぱたん、と本を閉じ、に視線を向ける。

皆が自分に詳しい話を聞かせてくれないのは、妬みの感情もあるのだろうか。

「少々、医術への学が御座いましたので…。戦場は初めてですから、皆様の足を引っ張らないようにするのが精いっぱいかと思いますよ…。」
「謙遜かね?そうだろうね…君は常に理想を追い求めている。」
「え?」
「戦場での経験を目的としている。そしてその先を見ている。違うかね?」
「…私の事です、その場になりましたら、目の前の事に集中いたします。ひとつでも多くの命を救いたいと奔走します。ですから今は、先を見て、戦で何があろうとも揺るがぬ目標を定めております。」

その言葉に、松永は満足そうに笑った。

「ようやく、庶民のふりが終わったね。」
「私など、庶民ですよ…」

松永に、戦で何人死のうとも君には関係ないだろうと、戦の経験を踏み台にしたいだけなのだろうといわれている気がして本気になってしまった。
乗せられた、とはあまり思わなかった。
むしろ、どこかすっと気持ちが楽になっていた。

「何者だね?とかお聞きされます?」
「ふむ、そうだな…何者などは私はあまり興味がない。」
「良かった。偉そうなこと言いましたが地位も富もなにもないので返答に困るところでした。」
「何も無いのかね?」
「無いです…ですから、なかなか…。もう少し情報が欲しいのですが、得られません。」

ふむ、と松永はぼそりと呟いた後、に近づいた。

が居るとき松永はいつも座って何かをしているので、歩いてる所を久々に見てしかも自分に近寄ってきていることに違和感を感じで瞬きが多くなった。

そして目の前で座り、くい、と顎を持ち上げられた。

「ま…松永様?」
「君のこれは十分な武器であろう。いや羨ましい…私にはないものだ。」
「これ…?」
「弱弱しい、この顔だ。」

ぱっと離し、まあ、猛々しい女性の顔というのはあまり見たくないがね…と呟いて定位置に戻っていった。

「………。」
「君に手段を選ぶ趣味があればまた別だが?」
「ご、ご助言…ありがとうございます…」

ぺこりと頭を下げて少し考えると、方法が思い浮かんでくる。
初めて、松永と交流が持ててよかったと思った。











城に戻ってとある部屋を訪ねた。
障子の前で困ったようにうろうろしてると、中にいた人間が顔を出す。

、どうしたんだよ?変な奴!!入ったらいいじゃん!!」

蘭丸は元気な声を掛けてくれたが、の表情を見ると眉根を寄せた。

「蘭丸君…」
「な、なんだよ!?どうしたんだよ、元気ないな…光秀になにかされたのか!?」
「あの、あのね、相談したいことがあって…蘭丸君以外思いつかなくて…」
「わかったよ、入れよ!!ええと…そうだ!!金平糖があるから食べよう!!な!!」

座布団の上に正座し、差し出されたピンク色の金平糖を一つ口にした。

「それで、で、何?どうしたの?」
「私今度、戦にご一緒させて頂くでしょう?」
「うん、聞いた!!でも戦うわけじゃないんだろ?」
「そうなんだけど、急に不安になって…やっぱり新入りだから、あんまり教えてくれないし、ちゃんと動けるのかなって…あ、何を持っていくとかは聞いて、準備してるんだけど…」

は下を向いて、手で着物をギュッと握った。
それを見た蘭丸は、慌てて身を乗り出してきた。

は、何を知ったら安心できるんだ?」
「うん…どんな場所に衛生兵を置くのかとか、戦場の地図とか、相手はどこで、兵は何人で、どんな戦法なのかなとか…」
「戦法はきっとその場その場で変わると思うよ?」
「うん、それでも、最初はどんな感じに動くのかなって…」
「そ、それなら蘭丸、知ってるよ!!は大丈夫だよ!!蘭丸がそういうんだから間違いないよ!!は、やれば出来る奴だもん!!だから元気出せよ!!」
「蘭丸君…」
「衛生兵の場所は知らないけど、蘭丸、仲良くしてやってる奴がいるから聞いてやるよ!!えーと、えーと」

蘭丸は自室の棚に駆け寄り、巻物を取り出した。

「ちっちゃいけど、地図だぞ!信長様はもっと大きいの持ってるんだけど蘭丸は…」
「蘭丸君も、もうすぐ出世するよ。」
「へへ、そうだよな!!」

ぴし、と蘭丸が指をさし、は目で追っていく。

「ここに敵勢力がいるんだよ。信長さまの敵!!」
「うん」
「えっと、場所が…ながしの…とか、言ってた気がする…」
「…長篠…?」

が目を見開いたのを見た蘭丸は、びくりと肩を震わせた。

「び、びっくりした…え?、もしかしてここの出身…とか?」
「ご、ごめん、そういうわけじゃないんだけど、聞いたことのある地名だったから…」
「ふーん…えっと、そんで、蘭丸は信長さまと濃姫さまとーこのへんにいるんだって!!」

蘭丸が指さす方向に視線を向けながら考える。

長篠の戦いは武田信玄が没した後に起こったはずだ。
しかしそのような話は聞いていない。
織田・徳川軍と武田軍が争う…という構図もまた違うのだろうか。

「だめ…だめだ、もう、自分の歴史の知識をあてにしちゃだめなんだ…」
ぼそりと呟いた言葉は、蘭丸にはよく聞こえなかった。
「?どうしたの?」
「…あ、ご、ごめんね、その、こんな立派な地図見るの初めてで…」
「あー!!そうだろ!?蘭丸、すごいだろ?こんなの持ってて!!」
「うん、すごい。」
「へへ…今回はねー、銃をいっぱい使うって言ってた!!向こうは騎馬隊がいるからって!」
「騎馬隊…」
「そう。蘭丸が知ってるのはそのくらいかな…、安心したか?」
「たくさん情報、ありがとう。すごく安心した!!」
「な、ならよかった…。」

がさがさと地図を雑にしまった後、蘭丸はにこっと笑った。

もがんばれよ!!こんど弓の使い方教えてやるよ!!」
「うん、楽しみにしてるね。」

これからまた仕事があるからと、蘭丸の部屋を後にした。
自室に着くなり、は膝をついて胸に手を当てた。

「すんごい…すんごいごめん蘭丸君…だ、だましたつもりじゃ…うそーあんなに本気にしてくれるなんて…うそー可愛い…」

松永の言うとおり、自分の容姿が武器になった。
堂々と活動するならカリスマ性があるしっかりした風貌のほうがいいのだろうが、暗躍にはこういうほうが後々良さそうだ。
ただ心が痛む。

「…長篠…」

すでに歴史通りではないが、武田の敵側にいるのだ。

「…佐助が偵察に来たりするかな…でも戦忍だもんなーこっちの方はこなそう…」

優先事項は戦の中にあり、兵の傷の手当の場所など眼中にも無さそうだ。

「……。」
がしがしと頭をかいて、これからの予定を考えていく。















松永は小さなため息をついて馬を下りた。

「どうだね?降りれるかね?」
「はい、止まってくれました…!!」

後ろを振り向くと、は左足を鐙から外し、右足に体重をかけて降りようとしているところだった。

「大きい馬ではないからね。君も一人で出来るだろう。」
「はい!!…っと!」

毎日毎日暇してはいたが、まさか目の前の娘が自分に外出許可を持ってくるとは思わなかった。
松永は腕を組み、目の前の町を見た。

「馬はそちらに繋いでおこう。」
「はい。」
「目当てのものが見つかるといいがね。」

は松永の隣に並び、少し緊張しながら話し掛けてきた。

「こ、この町が綿花栽培が盛んなんですね?」
「そんなにかしこまることはない。ここの大名とは顔なじみだ。」
「助かります、ありがとうございます。」
「しかし個人的に綿花を欲するなど、何に使うんだね?」
「その…脱脂綿として使いたいんですけど…。」
「…?」
「油分の除き方などわからないことがあるのですが、色々試して、もし加工に成功したら、怪我の治療に役立ってくれるので…!!」
「……。」

松永には、が目を輝かせている理由は分からないが、私の立場に置き換えたら良い茶器を得られることに等しいものなのだろうと想像する。

「そうか、それは、楽しみだね。」
「はい!!」

結構自由に過ごしてはいたが、松永の中に疲労は蓄積していた。
このように人間観察できるのは楽しく、腹の中を探る行為に飢えている。
が下衆で卑しい人間だったら観察対象として最高に楽しかったが、それは贅沢な望みとして我慢することにする。

「感謝するのは私の方だよ…やはりあのようなところで一人でいるのは息が詰まる。」
「そうですね…でもあの、一応罰…ですし、ねえ?松永様…」

言いづらいがちょっとは罰を与えられているのですよという自覚を持ってほしくて言葉にしたが、松永の耳は軽くそれを流した。


「近々、傭兵を一人、雇おうかなと考えていてね。優秀な部下が増えるというのはこんなに嬉しいものだったかなと考えているよ。」


は深く考えなかった。

「そうなんですか…」

純粋に、松永に部下を大切に思う気持ちを再確認したという良い知らせだと思い、にこにこと笑っていた。
















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家康ゥゥゥゥが「救護」って言ってたので、救護班とかそういう名前の方がいいんだろうかと思いますが、「衛生兵」にしました。