うわわっと慌てた声を上げ、は屈んだ姿勢から勢いよく上体を起こした。
それを見た蘭丸がの手元を覗き見る。

「まーた間違ったのかよ?ださいなー」
「だ、誰にだって間違いはあるんだから、大事なのはそれをどう乗り越えるかよ!!」

蘭丸が書を学んでいると聞いたは、一緒に学習させてほしいと濃姫にお願いした。
不自由はしていないが、旧字は分からないし、行書体では書けないのだ。
今後誰かに文を書いたりする場合に困るから学んでおきたかった。

(政宗さんの字は綺麗だったなあ…マメだったし…)

ふとそう考え、ハッとする。

「…、なにしてるの?」
「もっと頑張らないとって、気合いれてるの!!」
「ふーん…」

蘭丸は器用な手つきで写経をしていた。

「…よし、乗り越えなきゃ…えーと…」
「………。」
「…書き直そう…」
「乗り越えてないじゃん!!やり直しじゃん!!」
「書き直しだって…一つの選択肢よ…」

文字をうまく誤魔化すのかと思っていた蘭丸は不意を突かれて突っ込んだ。
半分までいったのにまた書き直すというは不器用なのか根気があるのか分からない。

「まったくもー…これが終わったら、蘭丸様の金平糖を分けてやるよ!!」
「え?」
「だから、はやく終わらせるぞ!!」
「う、うん。ありがとう!!」

やる気を起こさせようとしての言葉だろうと考え、は笑顔で頷いた。


「ふふ、どちらが子供か、分かりませんね。」

ゆらりと廊下から影が現れ、明智光秀が笑いながら現れた。

「明智さん。」
「何だよ光秀、どこに行ってたんだよ?」
「お仕事ですよ。」

の部屋に奇襲を仕掛けた日から8日程、光秀は姿を現さなかった。

「おかえりなさい、明智さん。」

何気なく挨拶をしただったが、その言葉を聞き、光秀も蘭丸もきょとんとした。

「…いちいち外出から帰ったらそのようなご挨拶…してたらキリがないと思いますがね?」
「何でですか?無事に帰ってきたことを喜んで自然と言葉って出るものじゃないですか?」
「これはこれは、随分とこの場所に慣れたようですね。思考に余裕が見える。」
「は、はあ…皆様のおかげで…」

余裕、というのは褒め言葉かどうか判断つかなかったが、はぺこりとお辞儀をした。

「戦だったのかよ?」
「戦帰りに見えますか?蘭丸、もっと頑張らないとすぐにに追い抜かれますよ?」

近づいてきて、ひょい、と二人の書を持ち上げ、見比べる。

「うるさいなあ!!返せよ!!」
「これはこれは、申し訳ない。速さ以外では既にが勝っておりますよ。」
「うるさいって言ってるだろ!!負けないもん!!こんな新入りに…!!」

蘭丸が立ち上がり、光秀から書を奪い返してぎろりと睨む。

「あの、勝ち負けではないと思いますけど…」
「もっともですよ、蘭丸。」
「光秀に言ってるんだろ!!邪魔するなよもうあっちいけ!!」
「おや…との二人の時間を邪魔をするな、あっちいけ、ですか?」
「な…」

きょとんとしただったが、蘭丸は顔を真っ赤にする。

「からかうのもいい加減にしろー!!!!」
そう叫び、蘭丸は部屋から飛び出して行ってしまった。

「明智さん…」
「あーゆーところは子供ですねえ。まあ、蘭丸は大人ばかりの環境にいますから、あなたのようなお若い方との接点は嬉しいのでしょう。」
は、この人は大人げないなあ…と思いながら、光秀を横目で見る。

「!」
すると、予想に反して穏やかな笑みを浮かべていた。
あまりに意外で、初めて見た表情で、ぽかんとしてしまった。

「…何か?」
の視線に気づいた光秀は、いつものニタリとした笑いに変わる。

「い、いえ、仲がよさそうで何よりでございます。」
「面白いことを言う人ですね。まあそれよりお茶でも淹れて頂けませんかね?」
「かしこまりましたっ!」

急いで立ち去るを横目で流しながら、先程まで二人が書を学んでいた場所に座り込み、頬杖をつく。

「もう少し逆らってくれると、からかい甲斐がありますけどね…。」







がお茶を持ってきて机に置くと、光秀はにやりと笑ってありがとうございます、と言った。
感謝の言葉を言われて嬉しくなり、は隣に座って微笑んで、いいえ、と言った。

「信長公とはお会いしましたか?」
「いえ…何事も起きずに現在に至る、なのですが…」
「おかしいですねえ…興味を示していたというのは本当です。帰蝶が説明でもして、消えないと知って興味を無くしたのですかねえ…?」
「そう、なんですかね…?」
「お会いしたかったですか?」
「心の準備が出来ていたときは…会いたいとすごく思いましたが…今の状態でお会いしたら挙動不審になりそうですね…」
「よく自己分析が出来ていらっしゃいますね」
「あ、明智さん…その嘲るような笑みは止めてください…」

がくりと落胆したを見てさらに笑う。
もうこの話題は嫌だと思い、頭を上げて向き直った。

「よく、遠出されるのですか?」
「聞いてどうするのですか?お土産でもほしいですか?」
「あっ…欲しいです!!」
「図々しいですねえ…まあ、何も知らないあなたでしたら愚痴っても良いですかねえ…」
「愚痴…ですか?」
「ええ、ここを離れてる間、一人の男を近くまで連れてきたのですよ。」

そこで光秀は言葉を止め、お茶を口に含んだ。

「こちらへはいらっしゃらないんですか?」
「我々の支配下になる予定だった一族の主を殺してしまったんです。」
「…え?」
「ですから、しばし軟禁です。信長公も甘いお方だ…あの男の反省の弁を鵜呑みにしているわけでもないでしょうに…」
「なんで、なんで殺しちゃったんですか…?」

そこが気になり質問したにちらりと視線を送り、少し考えるような素振りを見せた。

「やめておきます。主題ではないので。」
「主題…」
「私の愚痴、でしょう。」
「あ…」
「道中、要望が多くてですね…何度鎌を握ろうとしたか分かりませんよ。私にこのような仕打ちをするとは全く…」
「怖い、方なんですか…?」
「そうですねえ…」

そして

あっ、と声を上げ、にこお、と光秀が笑う。

「お手伝いさんが欲しいとおっしゃってました。」
「え…」
「丁度いいではありませんか、貴女、熱心に勉強しているようですし、見聞を広めたいでしょう?あの男は破天荒ですが、なかなかの教養人だ。」
「えっ…わ、わたしは今濃姫さまに…」
「帰蝶には他にもいらっしゃいます。お手伝いと言っても張り付くわけではありません。必要物資を運んでいただけるだけで結構です。」
「はあ…」
「帰蝶には私の口から説明しましょう。では早速食料など運んでいただきたい。さあさ、行きましょう。」
「さ、最初は、明智さんが紹介してくださいね!!ちゃんとです!!」
「分かっておりますよ。」

ぐいっと光秀に腕をひかれる形で、は立ち上がった。

「無礼の無いよう、頑張ってくださいね…。男の名は松永久秀です。」
「松永、さま…」












濃姫に伝えた後、さっそく光秀はを連れ出した。
は身なりを整え、光秀の後をついていった。

「山の中なのですか?」
「軟禁ですからね。町の中というわけにはいきませんね。」
「そうですね…」

木々で囲まれた道を進みながら、もし夜歩くことになったら怖いなと感じる。


「あちらの門を過ぎればすぐです。」

質素に作られた門をくぐると、仮面をつけた三人組が居て、は驚いてしまった。
光秀は軽く会釈をし、横を通り過ぎる。

もお辞儀をしてそれに続くが、通り過ぎた後も三人の視線を感じて、一気に緊張してしまった。


「…こちらに気配がありませんね。」
「え?」
小さいながらも造りはしっかりしていそうに見える家は、しんと静まりかえっていた。

「外出されてるのですか…」
「いいえ…おそらく…」

ふらっと、光秀が方向転換し、家の脇にある小道に入る。

「離れでしょう。」
「は、はい…」

少しずつ近づくにつれ、光秀の雰囲気が変わるのをは感じていた。

(気に入らない、のかな…?)

松永久秀に対しあまり良い気持ちを抱いていないことは、分かった。


離れに着いて、引き戸をあける。

中にはずらりと茶器、器、壷、刀などが、つい最近から住み始めたとは思えないほど綺麗に並んでいた。

そこにいた人物はゆっくりと視線を向けてきた。

「気に入ってくださいましたか、こちらの離れは。」
「…そうだな…見てみたまえ、僅かにさす陽の光に照らされるこの器を…今まで見たことのない美しさをみせてくれるよ…」

小さな窓から射し込む光に器をかざして、目を細めて魅入っている。

嬉しいのか、悲しいのか、楽しいのか、寂しいのかどの様にも受け取れる表情、振る舞い、声に、の視線は釘付けになった。

「そちらの娘は?」
「ちょっとしたお手伝いさんです。身の回りで困ったことがありましたら文を下さいませ。この娘…と申します、がお届けに参ります。」
「男でも構わなかったのだがね?わざわざ可憐な娘を送ってくださるとは、親切なことだ。」
「…床のお相手は業務外ですので、お間違えなく。」

嫌な言葉が聞こえてきたが気にせず、は一歩踏み出した。

と申します。よろしくお願いいたします。」
「私は松永久秀だ。以後よろしく頼むよ。」

ふっと微笑む松永を見ても真意が見えず警戒をとくことが出来ない。

「早速だが…予想してたよりも夜が寒くてね。羽織るものと敷くものが欲しい。」
「か、かしこまりました。では日が暮れるまでにお持ちします。」

そう話した後、光秀に視線を送り、これでいいんですよね?と同意を求める。
光秀はこくりと頷いた。

「では、出直しましょう。物は玄関に置きますからね。」
「卿も一緒に来るような口振りだが?そのくらいなら一人でも十分だろう。」

ぴくりと、光秀が反応する。

「待っているよ。」

松永はにだけ視線を送り、また微笑んだ。

「はい…早急に運びます…!?」

ぐいっと光秀に腕を引かれ、転びそうになりながらもなんとか体制を整えてその場を去る。


去り際の挨拶は、僅かに振り向き、僅かに頭を下げることしか出来なかった。

松永はそれでも全く表情を崩さず、状況を楽しんでいるようだった。





















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松永さまがっ出せたよー!!